Run to the Another World第90話
宝坂令次は山梨県甲州市で生まれ育ち、妹が1人居る。
彼の家庭は医者の家系であり、零時も小さい頃から医師になる様にと言われて
育って来た。令次自身も人を助ける事の出来る仕事に就けるのであればと思い、
特に疑問を抱く事も無く高校を卒業した後は東京の医大に進学する事になった。
だが、その高校卒業寸前で出会ったのが車と言うスピードの魅力であった。
車好きの高校の友人に誘われ、夜の奥多摩の先に存在する柳沢峠に
連れて行かれた事から車に一気に取りつかれてしまった。
免許は高校卒業前に取得していたが、実際に自分で車を買ったのは
高校を卒業して1人暮らしをする様になり、アルバイトをして得た金で
AE86トレノを購入してたまに柳沢峠に行ったり、深夜の首都高速で
少しスピードを出したりしていた。
そんな彼が本格的に走り始めたのは、2000年に首都高速のほぼ全域が
サーキットとして生まれ変わった時であった。柳沢峠よりも近いし、サーキットに
なった事で安全にスピードを出せると言う事もあってそれからは首都高を
ハチロクで攻めていた。そしてそんな時に岸と連の目に留まったのが、今迄の
彼等との接点がスタートした時でもあった。
そこから先は連にドライビングテクニックを教わりながら岸ともつるんでハチロクで
バトルをしつつ、バトルでの敗北を切っ掛けにJZA80スープラに乗り換え、
更にスープラがエンジンブローした後は沢村洞爺と言うチューニングショップの
社長がR34GT−Rを紹介してくれたのだ。
元々センスがあったらしく、そのGT−Rで一気に首都高速のトップへと上り詰めた
令次は「迅帝」と言う称号を得て、1年後の2001年に「サーティンデビルズ」と言う
首都高でトップクラスの走り屋だけを集めたチームを結成する。
それから峠にも再び興味を持ち始め、2003年には街道サーキットが箱根や榛名、
またいろは坂で誕生したのを切っ掛けに、今度は連のアドバイスも受けていろは坂へと
貯金をはたいてスバルのGDBインプレッサを購入して進出。そこのいろは坂でもトップに
上り詰め、一旦は街道サーキットを下りたものの2年後に今度はサーティンデビルズの
メンバーを引き連れて戻って来た。
だが、そんな令次に悲劇が訪れる。
彼には病気で入院している彼女の存在があった。しかしその時の令次は
走る事にばかり執着しており、サーティンデビルズがメンバーの引退によって自然消滅
した後もずっと走り回っていたのだが、ろくに彼女の見舞いにも行かなかった結果、
彼女は2006年の初頭の寒い冬の日に帰らぬ人となってしまった。
それからと言うもの、今まで自分がやって来た事が正しかったのかと言う疑問が
頭の中を駆け巡り、走りの方も全く身が入らず精彩を欠き、ついには気の緩みから
首都高で大クラッシュをGT−Rで起こしてしまう。
幸い、本人はかすり傷だったもののGT−Rは激しくクラッシュした事でガソリンが
発火してしまい、そのまま炎に包まれているのを見ているしか無かったのである。
それからと言うもの、インプレッサに乗る気にもなれず普段の足代わりにV35
スカイラインを購入し、ノーマルで乗ってチューニングカーの世界からは離れていた。
「所詮、ちっぽけな世界の中のトップだったんだ」と言う思いしか当時の彼には
無く、抜け殻の様な日々を過ごしていた。
だが数ヵ月後のある日の夜、ふとスカイラインに乗っている時に首都高サーキットに
上ってみると、何かに惹かれる様に目の前のS15シルビアとバトルをスタート。
結果的には負けてしまったが、それが早瀬瑞穂と言う男との出会いであった。