Run to the Another World第143話
藤尾精哉は滋賀県守山市から東京に移り住んだ、2月10日出身で現在49歳の関西人だ。
彼は浩夜と同様に、最初は特殊な職業の為に上京をした。
その職業とは俳優で、小学校の演劇をやった時からこうした
俳優と言う職業に憧れていたので高校を卒業した後に
東京の俳優養成所へと入所する事に決めたのであった。
それ以前は中学入学から高校卒業迄の6年間ずっと演劇部に所属しており、
俳優になる為の努力を惜しまなかったのである。
俳優……と言っても最初は養成所からスタートし、2年間の養成所生活を
終えたその後は舞台で端役から経験を積んで、徐々にではあるがドラマの端役や
映画の端役等でスクリーンの中ででも活躍する様になって行く。
そしてそんな藤尾が養成所を卒業して2年後の22歳の時に、アクション映画に
出演シーンがなかなか多い役を貰える事になった。
そこで役作りの為に習い始める事になったのが、、今まさに藤尾が活用している
インドネシアのプンチャック・シラットだったのである。
今現在でもプンチャックシラットはマイナーだが、当時は更にマイナーな競技だったので
最初は格闘技じゃ無いんじゃないのか、と藤尾自身も思っていたらしい。
しかしいざ習い始めてみると、虎のフォームを意識した型から繰り出される
トリッキーな手技を駆使する流派の物だと知って段々とその魅力に取り付かれて行った。
その時に出会ったプンチャックシラットの講師とは今現在でも知り合いで、週に3、4回は
今でも東京都内に道場を開いているその講師の元でプンチャックシラットをしている。
更に、藤尾にはもう1つの趣味として車が存在している。
俳優養成所時代に車好きの同期に誘われてその同期のハコスカGT−Rで
首都高へと走りに行った事が始まりで、それ迄とは違うスピード領域で
走る車にショックを受けて自らもスピードの世界へと飛び込む事に。
だが養成所時代では車を買う金も貯まらず、免許を取ったのも1985年の
20歳の時だった。養成所を卒業した後にはアルバイトをして、2年後に
中古でS12シルビアを購入。
まだまだ藤尾も若かったので、怖い物知らずの弾丸型のドライビングでガンガン首都高を攻めていた。
そうしてそのS12シルビアには7年乗り続け、次に180SXの中期型を1994年に購入してまた
首都高を走り続けていた。その頃には自分もドラマや舞台、映画やCM等に良く出ていたので、
警察のご厄介にならない様に気をつけていた。
そして5年後の1999年に、当時新車で出たばかりだったS15シルビアを購入。
更に首都高がサーキットとして生まれ変わったので警察の目を気にせず
走れる事になり、既にその時点で10年以上の首都高のキャリアを持っていた
藤尾はそのキャリアから繰り出されるテクニックで首都高の四天王と呼ばれる様になった。
だが、その後に藤尾に悲劇が訪れる。
相変わらずの弾丸型のドライビングスタイルで走っていた藤尾だったが、
その時に現れた、当時まだPS13シルビアに乗っていた椎名連とバトルして敗北し、
最後は突っ込み過ぎてフロントから大クラッシュと言う結末になったのだった。
その時にフロントガラスが割れ、その破片が目には刺さらなかったものの
顔に2箇所刺さってしまって今でもその傷跡が藤尾の顔に残ってしまっている。
スクリーンの仕事ではメイクでごまかす事で何とか続けられていたが、
周りの好奇と偏見の目に耐え切れなくなり2004年に俳優業から引退。
その後は知り合いのツテでゴミ処理業者の作業員となり、清掃車に乗って
都内のゴミを回収する仕事に就いていたが、2007年にまた知り合いのツテで
金型工場の人手が足りないから手伝って欲しい、と頼まれて今ではそこの社員として働いている。
シルビアはその大クラッシュから買いなおしたものの1年後に再びバトル中に大クラッシュ、
その後に再び買い直して4年後にまた大クラッシュ。流石に縁起が悪いと感じ一旦サーキットに赴いて
FD3Sに乗っていたがその時のチームが解散し、その後2006年にRX−8に乗り換えたが半年後に
大クラッシュしてしまった。死をも恐れない弾丸型のドライビングスタイルから「死神ドライバー」と言う
あだ名がついていたのだが、今ではクラッシュしてもクラッシュしても復活して来ると言う
意味合いでも死神ドライバーと呼ばれている。
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