Run to the Another World第144話


由佳が自分でも言っていた通り、もう今年で41歳になった彼女は帰国子女の日本人なのである。

6歳の時に親の転勤の都合で埼玉からアメリカへと渡り、その後18歳迄アメリカで過ごしていた

経緯を持つ彼女は、高校に上がった直後にストリートレースの世界を知る事になり、そこから車に

はまり込んで行く様になった。基本的にアメリカは16歳から免許が取れるので、16歳の時に免許を取って

アルバイトをして自分専用の車も買い、ストリートレースの世界へと飛び込んだ。

最初の車は中古車で販売されていたSA22CのRX−7。誰でも最初の頃は初心者で、

由佳も例外無く何度も苦汁を舐めさせられた。しかしそれも経験と車のチューニングをする事で

解消して行き、段々と実力がついて来てストリートレースの世界でも有名人になって行ったのである。

その後にRX−7が古くなったので今度はFC3SのRX−7、そしてFD3SのRX−7と買い換えて行く。

日本に戻って来たのは22歳の時だったが、その頃はまだFC3Sに乗っていた。


そのままロータリーエンジン一筋の車歴を歩んで来た由佳だったが、帰国直後に車で帰宅した際、

RX−7から降りた所を変質者に襲い掛かられてしまうと言う事件が起きた。

その時はたまたま近くを通りがかった人が目撃者になってくれて運良く助かったが、この一件は

由佳の心にトラウマとして植えつけられてしまう事になる。そのトラウマを解消する為に何か

護身用として武術をやろうと考え始め、後日の帰宅途中に目に入った剣道の道場に通おうと決意し

暇な時間を作る様にして剣道の世界へと飛び込んだ。

それからは剣道の世界と車の世界を2つ掛け持ちする事になった由佳。仕事としては帰国する前に

アメリカの知り合いから頼まれた翻訳家の仕事をその英語力を生かして続けながらだったので、

最初の内は結構疲れていたがそれも今となってはすっかり身体が慣れてしまっている。


車の世界においては、サーキットを走りこんだり公道のレースに参加したりして

日本でもアメリカで仕込んだワイルドな走りを遺憾無く発揮。

そして1999年に首都高速道路が日本でサーキットとして生まれ変わると、

自立と言う事も考えていたので親元を離れて東京の郊外で1人暮らしを

始め、そこからほぼ毎晩と言って良い位のペースで首都高サーキットに通い詰める。

そこでも勿論ワイルドな走り、更に剣道で鍛えた動体視力もを駆使して

圧勝し続け、「首都高の四天王」と呼ばれる迄に成長。

何時も夜の12時過ぎに現れる事から「12時過ぎのシンデレラ」と言うあだ名までついた。


今でも首都高サーキットを走り続けている他、一時期は首都高サーキットの伝説の

チームである「サーティンデビルズ」に在籍していた事もあれば、日本のプロレースにも

アメリカのプロレースにも参戦した経験を持ち、実際にアメリカのレース界においても

顔がきく程の有名人で、多くの女性ドライバーの憧れとして相談を受けたりする。

本職はあくまで翻訳家で、剣道も続けているので車も趣味の1つなのだが。

そんな三浦由佳は、41歳になった今でも剣道のおかげで動体視力は余り衰えていない。

もっともピークの時期から比べると衰えてしまってはいるが、それでも常人よりは動体視力が明らかに違う。


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