Run to the Another World第126話
山口県宇部市で生まれ育った松原周二は、どちらかと言えば感情が薄くて人付き合いも
余り得意な方では無かった。だが、そんな自分が唯一興味を持ったのが車と言う存在で
あったのだ。車に興味を持った周二は高校生から近所のタイヤショップでアルバイトをしつつ、
エアロパーツのデザインに興味を持って大学を横浜の美大にして、そこでエアロパーツの
デザインの元となる色々なデザインを勉強した。
そうして大学卒業後に神奈川県のエアロパーツの開発会社に入社した周二は、横浜に
住みつつ自分も車を買って生活し始める。
そこで個人売買で中古のNSXタイプRを500万で手に入れ、首都高が近くにあったので
走る様になったのが21歳、今から21年前の1993年の時からであった。
当時まだ新車同然であったNSXタイプRをリーズナブルな価格で手に入れる事が出来た周二は、
当分はそのNSXのローンの返済で一杯一杯だったが5年後にはローンを完済してそこからNSXの
チューニングを更に進めて行く事に。更には体力をつける為に元々大柄だった身体を更に増強
させるべくスポーツジムに通いつめる。
首都高では有名チームの「RINGS」と呼ばれる環状線のチームに所属していた事もあって、
走りのレベルは経験の長さから首都高の走り屋の中でも高い物であった。
そして2年後の2000年には首都高が殆んどサーキットに生まれ変わったので、環状線を主に
走っていた周二はゾーンボスの1人として選び出される事になる。
しかしその後に宝坂令次とバトルして敗北し、首都高を一旦降りて富士スピードウェイに
走りに行く様になったが、その1年後の2001年に昔からのライバルとして一緒に走っていた事も
ある市松孝司に誘われる形でチームゾディアックのメンバーとして首都高に復帰した。
が、1年後にゾディアックは解散してしまい再び周二は首都高を降りてサーキットのレースに参戦する様になった。
それから4年の月日が流れて周二はC1グランプリに参戦し、今のレーシングプロジェクトの4人と一緒に
RPバトルのクラスでトップの座に立っていたのだったが、所属していたレーシングチームが解散してしまい
周二はまた首都高サーキットへと戻った。だがその前に良い歳になっていた周二も結婚して、妻の実家である
北海道にエアロパーツデザイナーを退職して移り住む。
妻の実家は北海道の広大な牧場。サラリーマンを辞め、婿入りして牧場で働き始めた。最初は慣れない
仕事に何度も逃げようと思っていたが、今ではすっかり牧場での生活が板についている。仕事に行き詰っていた頃、
陽介から総合格闘技をやらないかと誘われ、浩夜と陽介と3人でお互い離れた地で総合格闘技を一緒に始めた。
牧場の仕事で更に鍛えたその大柄で筋肉質な身体を活かし、ルチャリブレとプロレスを組み合わせた関節技で
北海道ではそこそこの成績を誇っている。陽介、浩夜とは仲が良いが、他の人にはやけに冷たく基本的には
無口で無表情の事が多い。
今は北海道から暇な時に車を運んで首都高迄やって来てBe Legendの一員としても走っている周二は、その大柄な
身体を活かしてパワー全開のバトルをするのが得意だ。
だがただ単に周二はパワーがあるだけでは無い。レスリングやルチャリブレと言うものは
パワーだけでは無い。観客を楽しませる為のダイナミックな動きをしなければいけないので
当然その動きに対応出来るだけの身体の柔らかさや素早さも重要になって来る。
プロレス技としてはジャンプして身体を捻って相手を蹴っ飛ばすローリングソバット、関節技として
有名なアームロック、他にもボディスラムやラリアット等のダイナミックな技があるので、こうした動きを
習得して行った結果として前方ハンドスプリングやバック転等はお手の物なので、ボディビル
体型からは想像もつかない、と意外に見られる事も多い。
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