Run to the Another World第127話


橋本信宏はかつて、F1のシート迄後少しと言われる位に上り詰めた

富山県黒部市出身のプロレーサーだ。地元の富山県では幼い頃から車に興味を持っており、

10歳からカートレースでサーキットを走り回って様々なレースでその頭角を現す。

そうして6年間カートレースに打ち込んだ後はバイクレースに参戦し、2年後には車のレースへとステップアップ。

フレッシュマンレースから徐々にステップアップして行き、ツーリングカーレースからフォーミュラへとその

スピード領域はどんどん高くなって行った。

目指すならやはりF1ドライバーであると言う信念を高く待っていた橋本は、まさにその目標に向かって走り続けたのである。

しかし、そんなフォーミュラの世界で活躍していた橋本に1995年、突然のアクシデントによる悲劇が訪れてしまった。


訪れた悲劇と言うのは、1995年のレースで周回遅れのマシンをアウトから追い抜こうとした時にタイヤが

いきなりバーストし、そのままコントロール不能になってクラッシュ。橋本も生死の境を彷徨う程の事故になってしまった。

モータースポーツである以上命に関わる事故はつき物、死と隣り合わせであると言う事は橋本も分かり切っていたものの、

一命を取り止めた後にはF1シートへの道が閉ざされてしまったのであった。

橋本はそれで数年間腐ってしまった。1995年ではまだ22歳だったが、怪我が完治する迄に数年掛かると言われて

しまったのである。せっかくあと少しでF1シートに手が届きそうだったのに、事故で断念せざるを得なくなるなんて……と

車への興味もすっかり無くしてしまい、完治後はプロレーサーからも引退して普通の仕事に就いていた。


だがそんな時に1人の外国人に話し掛けられた。それがハールだったのだ。

ハールは現役時代からの橋本の走りを日本に渡って来た18歳の時から2年間ずっと見ており、何時かは橋本みたいに

なりたいと思っていた事が告げられた。

そのハールの優しさと自分への憧れに橋本は徐々にかつての車への思いを取り戻して行き、もう1度車の世界へ挑戦すると

言う事を最終的に決意させたのであった。

しかしまずは事故で弱ってしまった身体を鍛え直さなければいけないと思い、25歳からボクシングとキックボクシングを両方

教えているジムに通い始める。同時にハールからもテコンドーを習い始め、反射神経と動体視力と体力を1年間で身につけた。


そして1年後の1999年には首都高がサーキットになったと言う話を聞いて、まずはそこからリハビリだと思いマツダの

ユーノスコスモを知人から安く譲り受けた。それをハールと一緒に極限迄チューニングし、更に首都高サーキットも彼と一緒に

走り回ってそこでの走り方を身につけて行く。1年後の2000年には湾岸線でミドルボスとして無類の速さを

誇る様になり、その後は一旦レーサーとしてサーキットに専念する為に首都高サーキットを下りていた。

だが2001年にハールに誘われる形で首都高サーキットに復帰し、孝司のチームであるゾディアックに加入。

1年間また首都高サーキットで走った後は本格的にプロのレーサーとしてもう1度4輪のレースから復帰し、2005年には

C1グランプリにも参戦していた。その時一緒に走っていた4人が今のレーシングプロジェクトの他のメンバーだったのである。

今ではF1は無理だがフォーミュラに再び復帰し、日本国内でプロレーサーとして活動している。

またボクシングとキックボクシングとテコンドー以外にも、ボクシングの手技を派生させたカンフーとキックボクシングの元になった

ムエタイを和美と真由美からそれぞれ2003年から習っている。

特に和美の指導には大抵孝司も一緒なので、和美には孝司と一緒で頭が上がらないのだ。そうしてもう格闘技の世界でも

ベテランになっている橋本は、プロレーサーの筈なのに異世界で旅をすると言う妙な事態に陥っているのであった。


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