Trip quest to the fairytale world第2部第13話
ハールとアレイレルの戦いが幕を開けたその横で、Dと麗筆の戦いもまた静かに始まっていた。
麗筆はふわりと宙に浮き、何もない場所を睨みつけている。その手には未だ陽(よう)気の噴出である
炎がちらついたままだ。
「ぼくに目眩ましは無駄ですよ。貴女もわかっているはずです、D」
麗筆の硬い声に、光をねじ曲げて自分の姿を隠していたDは術を解いた。
麗筆の向かいにある空間からまるでタイルが剥がれ落ちるように光の欠片が散って、
そこから現れたのは錠を外して白い頁を露わにした呪文書だった。
「貴女の目的はわかっているつもりですよ、D。新しい体を得て好き勝手したいのでしょう。
でも、それは許しません。おとなしく向こうに帰りますよ」
『ふん、だ! 御託はいいからかかってきたら? 私は話し合いで解決するつもりはないわよ!』
言うが早いか、麗筆の頭上から槍ほどの氷柱がいくつもうなりを上げて落下してきた。Dの放った黒術である。
麗筆はそれを避けられないと悟ると右手の白術でもって薙ぎ払った。目に見えない手のように力強い何かが
氷槍をすべて粉々に打ち砕く。強いライトに照らされた埠頭の空に細かい氷の粒が乱反射した。
「しょせんはこの程度ですか」
『手加減してあげてるの。本調子じゃないんでしょう? 私に反撃もできずに沈んじゃったら可哀想じゃない』
「……その言葉、後悔させてあげましょう!」
Dちゃんの挑発に麗筆は目許を引き攣らせた。
そこからはお互い手加減なし、小刻みにまた大胆に場所を入れ替えながらの魔術合戦だ。
麗筆の右手からは呪文書目掛けて炎が放たれ、Dの短い掛け声と共に麗筆の頭上に氷が降り注ぐ。
右に左に、麗筆は【跳躍(ジャンプ)】を繰り返す。あちらにいたかと思えば、こちらに。瞬きにも満たない間に姿を眩ます。
そして上から下から、焔の鞭でまたは風の刃で、間髪入れずの猛攻撃を放った。
Dはそれらを【障壁】を効果的に張ることで無効化していく。麗筆の顔からはいつしか笑みが消えていた。
彼はよりいっそうDから距離を取り、右腕を前に突き出して集中した。
「……【炎弾(ブリット)】!」
『っ! 【多重障壁(スクリーン)】!!』
迫り来る炎の弾。彼女は避けるのではなく【障壁】を展開することで攻撃をしのぐことにした。
だが、その【障壁】は非常に脆いもので、何かがぶつかればすぐに弾けてしまう。咄嗟に数え切れないほどの礫から
身を守るために彼女が出した答えは、【障壁】同士が触れ合わない絶妙な間合いを保ちながら
薄く【障壁】を重ねるという、麗筆ですらもしかすると行い得ないような繊細な術の発動だった。
魔術とは意志の力によって思い描いた幻想を現実に顕現させるものである。
魔術師はより確実な顕現のために詠唱をして集中し、そして“力ある言葉”をもって物理法則をねじ曲げる。
麗筆もDも卓越した魔術師であり、詠唱など必要としない。時に“力ある言葉”すら口にすることなしに魔術を操る彼らが、
タイムラグを引き起こすと知りながらそれでも“力ある言葉”を用いるのは、それだけ集中を必要とする術を
導いているからに他ならない。
麗筆にとっても【炎弾(ブリット)】は大技だった。飛ばした弾は百以上、半数は打ち落とされるにしても
いくつかは命中するはずだった。それがまさか、すべて防ぎ切られるとは!
「D……!」
『驚いた? 驚いたぁ? きひひひひっ! そろそろゴメンナサイするなら許してあげてもいいんですよ〜?』
「ふざけたことを……。貴女こそ防いでばかりじゃないですか、戦い方を教えて差し上げましょうか?」
陰と陽、白黒どちらの術も扱えるがどちらかと言えば白術に寄る麗筆。対して明らかに防御などの黒術に優れたD。
麗筆の攻めの激しさに比べれば確かに彼女には手数が少ない。それに、瞬間的に移動して回避する
麗筆と違い、Dはその場で【障壁】を張って攻撃を防いでいる。
黒術の源である陰気に溢れた場所と時であるとはいえ、使いすぎれば術の発動に必要な分だけ気を集めるのに時間がかかる。
だというのに。
Dのクスクス笑いは途切れない。
それどころか、彼女はさらに声を上げて笑いだした。まるで計略が図に当たったとでも言うように。さしもの麗筆も悪寒に震えた。
「……なにがおかしいんです」
『あら、本当に気づかないの? 麗筆こそなにか忘れてるんじゃない?』
「麗筆!」
ハールと戦っていたはずのアレイレルの叫びが麗筆の耳を打つ。見下ろしてみれば、彼はぐったりしたハールを抱えて
地べたに座り込んでいるところだった。うっすらと雪の積もったコンクリートが寒々しい。
「雪……?」
『きひひひっ、あったり〜! 黒術は冷やすだけの術じゃない、奪う能力があるってこと。麗筆はどのくらい陽の気を使った?
あれだけ続けざまに使えばすっからかんでしょ! いいかげん、私に、頭を下げろぉぉおおお!!!』
麗筆が魔力切れ寸前であることをDは見抜いていた。いや、そこまでようやっと追い詰めたというところか。
この慣れない地で麗筆は今までになく弱っていた。Dに勝つチャンスがあるとしたら今しかないのだ。
青年魔術師が会話に気を取られていた隙にと伸ばしていた夜の闇に紛れる触手、それはすでに麗筆のブーツに絡み付いていた。
アレイレルの警告は一歩遅かった……。
「ぐっ!」
触手に足を引っ張られ、地面に叩きつけられそうになる麗筆。しかし彼は耐えた。
『麗筆ぅ!!』
「麗筆!」
ぶんぶん振り回され、コンテナや重機にぶち当たる麗筆。その手が一本のケーブルを掴んだ。
そしてそれは生きていた。
魔力がないなら補えばいい。幸運にもここには大きなエネルギーに繋がっているラインがあるではないか。
麗筆はケーブルを断つと右手にぐっと握りしめた。
(師匠にできることなら、ぼくにも、できるはずです……!)
麗筆は集中する。今まで一度も成功したことのない、師匠だけが使っていたオリジナルの技。
それを脳裏に思い描いて、麗筆は叫んだ。
「……貫け、【電撃(ショック)】!」
『きゃああああああっ!?』
その瞬間、お台場周辺は真っ暗闇に包まれた。
まるでオセロの盤面が一気に変わるように、黒に塗り替えられていく世界……しかしそれもほんの一、二秒のことであった。
混乱はあったもののライフラインが瞬時に息を吹き返したことで大事には至らなかった。
そして、青梅コンテナ埠頭はと言うと……地面に伏せているDと、その側に佇む麗筆。どちらが勝者かは決定的だった。
『う、ううう……』
「ふっ、無様ですねぇ、D……。二度と悪さができないよう、ここで焼き捨ててしまいましょう!」
『………………』
麗筆の炎を宿した右手が振り上げられる。しかし、それに待ったをかけたのは意識を取り戻したハールだった。
「よすんだ、麗筆!」
「ハール! 貴方、洗脳されていたのではないのですか?」
「体は確かに操られていたけど……頭の中までいじくられたわけじゃないよ。
Dちゃんに言わされてるわけじゃなくて、とにかく燃やすのは待った」
『……うぇえええん! ハールぅ!!』
アレイレルと麗筆は顔を見合わせた。
「Dちゃんはさ、多分さみしかったんだよ。それに、冷たくされて怒ってたんだ。
だって、ほら、あんまりイメージわかないかもしれないけど女の子なんだよ?」
「……普通の女の子は、女の子を操って好き勝手しようとしないんじゃないか?」
「えっ、女の子を操るってなに? 僕そんなこと聞いてないけど」
「だって麗筆が……」
「…………」
「えっ、どうしてぼくをそんな目で見るんです?」
アレイレルとハールの胡乱げな視線に、麗筆は思わず後ずさった。
『麗筆が悪いんだも〜ん! 仕事仕事で遊んでくれないし、そもそも用事がないときは埃っぽい場所に
放っておかれるし! それに私があんな目に遭わされても心配もしてくれない! 麗筆のばかばか! 大っ嫌い!!』
寒い夜空にDちゃんの泣き声が響き渡る。アレイレルは深く溜息を吐き、無神経な青年魔術師の肩を叩くと
ゆっくりと左右に首を振った。
「ぼくが悪いんですか!?」
「どう聞いてもお前が悪い」
「ええっ!?」
一転して悪者の位置に立たされた麗筆はなんとも言えない表情である。
まだグスグス泣いている魔術書を拾い上げ、ハールは言った。
「とにかく、帰ろうか。明日は仕事だけど、一日かかるわけじゃないから、終わったらどこか遊びに行こう」
『……いいの?』
「うん、皆でね」
「俺もか! いいけど触手とか出せないように鎖で縛るからな」
『や〜〜ん、アレイレルのえっち!』
「なっ……!?」
Dちゃんがアレイレルをからかい、二人は言い争いを始めてしまった。だが、どこか楽しげでもある。
ハールはふっと笑みをこぼすと、側でぼんやりと立ちすくんでいる麗筆に気がついた。
「帰ろう、麗筆」
「……そうですね。少し、疲れました」
長い一日が終わりを告げようとしていた。
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