Trip quest to the fairytale world第2部第5話
サーキットで車のスキール音がするのは当たり前だが、誰かの制止する声と共に聞こえるのは穏やかではない。
アレイレルが振り返ると、メタリックブルーのプリウスが彼らの方へまっすぐ突っ込んでくるところだった。
「うぉわ!!」
急ブレーキをかけて車体が停まる。だが、アレイレルが避けていなければ当たっていただろう。
その無茶苦茶を詰るよりも前に、助手席から手を振る見覚えのある人物に気がついた。
「やっぱりか!」
「だよねぇ。わかってはいたんだ、わかっては……」
怒りを露にするアレイレルに対してハールは悟ったように穏やかな表情だ。
Dちゃんを見つけてからというもの、すぐにあの異世界に飛ばされた経験を思い出して、
何となく予感していたからというのもある。そして本物の魔術師が現れたのだ、もう疑いようはない。
プリウスのドライバーは、どこかぎくしゃくとした様子で降り立つと、助手席側に回って青年魔術師が
車から出るのを手助けした。麗筆はそれを当然のように受け入れ、にこやかな笑みを二人に向けた。
「アレイレル、ハール、お久しぶりです」
「そこまで親しくされるような間柄だったか、俺たち。で、その人は誰なんだ」
「親切な人です。ここまで送ってくれたんですよ。ひっちはいく? したんです」
「怪しいな……」
「えっ、そんな。最初から疑うなんてひどくありませんか?」
麗筆は心外そうだが、アレイレルの疑心はもっともだ。なぜならドライバーの男はサーキットの従業員から
注意を受けてもボーッとしていて、尋常じゃない様子である。このままだと警察か救急車を呼ばれかねない。
「……久しぶり、麗筆。ところであそこに落ちてる本のことなんだけどさ」
『麗筆だ〜! 助けて麗筆ぅ、このひとたちが虐めるよ〜!』
「ちょ、人聞きの悪いこと言わないように!」
ハールの指差した先には、表紙が少し焦げた上に水溜まりに投げ捨てられている、憐れなDちゃんの姿があった。
彼女(?)が麗筆の物だとしたら、この惨状を目にすればさすがに怒るのではないかと心配になるハール。
だがそれは杞憂のようだ。
「D……。うわぁ、触りたくないです……」
『ちょっとぉ!! 早く拾いなさいよぉ!』
「あ、全然怒ってなさそうだね」
「いいから早く拾えよ。そんで、この人には帰ってもらえ!」
二月の小雨が降りしきる中で、不毛な会話は辛すぎた。アレイレルと麗筆の二人がプリウスの男や
サーキット場の従業員と話をしに行ったので、ハールはDを回収する役だ。
仕方がなくピットの水溜まりまで近づき、とっぷりと泥水に浸かった大きめの本に手を伸ばす。
ちょん、ちょんと指先で触れ、何ともないのを確認してから、ハールはDちゃんをそっと拾い上げた。
だばっと水が滴り落ちる。
「あ〜、ねぇ、大丈夫? D……ちゃん? もしも〜し。なんで黙ってるんだろ」
余りにも濡れすぎてしまったせいだろうか。取り合えず表面だけでも綺麗にしてやろうとハールは指の腹で泥を拭った。
タオルでもなかったかとベンチの辺りを目で探っているうちに、カチリと硬い音が手元で響く。
「ええっ!? 壊しちゃったかな……」
ハールは慌てて金具を弄った。さっきまで無理やり抉じ開けようとしていたのだが、こうも簡単に開いてしまうと
逆に「しまった」という気持ちになってしまう。あれだけ喧しかったDは未だに沈黙したままだ。
「…………」
ハールはそっと表紙をめくってみた。
ようやく事を収めたアレイレルと麗筆は、ハールのいるピットまでの道を口喧嘩しながら戻ってきた。
結局、プリウスの男もこの備北サーキットの従業員も客も、麗筆の洗脳によって記憶を書き換えることに
なってしまったので、アレイレルは呆れている。
「本当にロクなことしないな、お前は!」
「殺さなかったんだから良しとしてくださいよ〜。それに、彼にはちゃんとお礼もしていますよ?」
「……なんだよ」
「このところ不眠でお悩みだったので、それを解消して差し上げたんです。ひと巡りほどは深夜グッスリですよ」
「ひと巡り?」
「あ〜、十日から十二日前後ですかね」
「ふーん。戻ったぞ、ハール?」
アレイレルはベンチに座ってじっとしているハールに目を留め、気になって声をかけた。
ハールがゆっくりと振り向く。その表情はいつも通りだった。
「おかえり」
「うん……なにしてる?」
「ああ、あの喋る本を拾ったんだけど、泥だらけでさ。そのまま車に積みたくないから拭いてたんだ。
それで、これからどうする?」
「以前聞いた、車でやる危険な競技というやつが見てみたいです」
「ほう……」
アレイレルは顎に手をやりながら、人の悪い笑みを浮かべた。
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