Run to the Another World第63話


寄せ集めサーティンデビルズの中で最もクールな性格の岩村僚一は、栗山や流斗と同じ孤児院の出身だ。

この2人とは3兄弟の様に親しく育った経験があり、車の世界を知ったのは

流斗の影響だったし、武術の世界を知ったのは栗山の影響だった。

生まれ育ったのは最初は愛知県の一宮市だったのだが、その後親の転勤で岐阜県に引っ越した。

だが、ある朝に目が覚めると両親が2人共居なくなっており、弟や妹も居なかった。

更にテーブルの上にはメモが残されており、そのメモに書いてあった電話番号と共に

「ここに電話しなさい」と書かれていたので指示に従って電話した先が

栗山と流斗と出会う事になった孤児院だったのである。


つまり、岩村は親と兄弟に食い扶ちを減らす為に捨てられてしまったのだった。

そんな悲惨な過去を持っているせいもあり、栗山と流斗とは仲良く育ったが

依然捨てられた恨みに関しては消える事は無い。プラス、捨てられてからと言うもの何事に

対しても常にクールにそして現実的に考える様になり、今の異世界に来たと言うこの現実にも

最初は自分が長い夢を見ているのでは無いかと本気で思っていた。

しかし実際にバーレン皇国であんな経験をした事もあり、自分もあの船の中で金色の鎧の

集団相手に太極拳で奮闘したのは紛れも無い事実。だからこそこの異世界トリップを

現実として認めざるを得なくなってしまい、だったら精一杯今の状況を生きる様にしようと言う結論に達した。

そんな岩村は栗山の影響、そして流斗が和美にカンフーを習っていると言う事で自身も2003年から

太極拳を習い始めた。現在はもう43歳だが、経験は11年になるベテランだ。


孤児院を出所し、岩村は18歳の時からずっと東京の金属加工の工場で働いている。

それ以前から流斗に車の楽しさを教えられ、就職して纏まった金が出来ると

自分も車が欲しいと考える様になってY33のセドリックを購入した。

実際に購入したのはY33が発売された1995年だったので24歳の時になる。

勿論発売されたばかりなので新車だったセドリックを、岩村は今も大切に乗っているのだ。

車を買ってからと言うもの、年齢的に見れば凄く遅い走り屋デビューと

なってしまった訳だが、そんな事は全く気にもせずに関東地方のサーキットを中心にしつつ

首都高も走って腕を磨いて来た。


後に首都高がサーキットとして生まれ変わると、普通のサーキットよりも安価な

走行料金で走れるので岩村はそこばかり走る様になる。

その頃には大分セドリックのチューニングも完成し、湾岸線では時速300キロを

記録した事が何回もあるのだ。

「羊の皮を被った狼」と言う言葉が好きで、ただのVIPカーだと思ってバトルを挑んで来た

生半可なスポーツカーを岩村はどんどん撃墜し、2000年にはボスの1人に選ばれ、

更に翌年の2001年にはサーティンデビルズの一員に。


しかし、そのサーティンデビルズが全員負けて解散してしまうと一気に首都高での

走りへの興味が薄れてしまい、岩村はそれ以降全く首都高を走っていない。

勿論栗山や流斗との付き合いは未だにあるが、走るのは主にまた関東地方の

サーキットが中心になっている。走る事への情熱はまだ薄れてはいないものの、早々に

首都高に見切りをつけて降りて行ったので、今も首都高サーキットを走っている走り屋で

彼の存在を知っている者は余り居ないのである。


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