Run to the Another World第170話


舞台演出家として名を馳せている一方で、プロボクサーとしてもライセンスを持って現役で

活動しているBe Legendのリーダー坂本淳は36歳になった。飄々とした性格でお調子者な

一面があるが、舞台演出家としての時の彼は物凄い集中力を発揮しておりうかつに

近付く事が出来ない程のオーラが見えると関係者は語る。千葉県の市原市出身で今も

実家に住んでいる淳は、首都高サーキットに通うのも千葉県からアクアラインを使って通っている。

R32GT−Rを購入して以来首都高サーキットや地元千葉の茂原ツインサーキットに

通い詰めており、今のBe Legendを結成したのは2006年の事である。それ以前は

首都高サーキットで余り名前が売れていなかったが、茂原ツインサーキットをメインに

R32GT−Rで走りこんでいたのでそれも当然と言えば当然であろう。


そもそも車には全く興味は無く、それよりもずっと前に舞台の勉強とボクシングを始めた事の

方が先だった。舞台演出家としての淳の経歴はまず、学生時代に劇団を旗揚げして

以来芝居一筋の人生を歩んで来た程の筋金入りの物だった。それでもやはり最初の頃は

客が殆んど入らなかったが、時間をかけて熟成を重ねて行くに連れて段々と名前も売れて

行く事になり、今ではチケットが予約開始数時間でソールドアウトしてしまう程の人気ぶりになっている。

何故なら、その様な人気が出る様になった切っ掛けは淳が首都高サーキットを

メインにして走る様になってからだった。


淳の舞台のシュールでキッチュな世界観は、淳の首都高での走りの中で生み出される。

まだ劇団を立ち上げて間も無かった大学2年生の20歳の1998年の時に、

大学の教授が乗って来たR32GT−Rを見た途端に何か心にぐっと来る様な

物を感じてR32GT−Rを自分も同じく購入。それからはそのR32GT−Rの

パワーに酔いしれて茂原サーキットをメインに走り回っていた。

そして安く走る事が出来るサーキットに生まれ変わったと言う首都高サーキットに

自分も大学の帰りに走りに行く事が増えた結果、首都高の走りの中からその

シュールでありキッチュでもある世界観を生み出すヒントを見つけたのだと淳は語っている。


そう言う経緯で首都高サーキットを走っていたのだが、別に彼自身は首都高の

トップになる事にはさして興味も無かったので勝手気ままに走り続け、劇団の

世界観を作る為にアクセルを踏み込んだ。

だが、その首都高サーキットを走り続けて行く内に走り屋達の間で色々と派閥争いや

伝説のチームの存在等を知り、何時かその人間達と一緒に走ってみたいと言う思いが

徐々に淳の中で芽生えて行く。

その為には自分も速くなれば良いんじゃないかと思い、2004年から少しずつではあるが

R32GT−Rをチューニングして他の走り屋達ともバトルをする様になった。


ボクシングで鍛えた動体視力を活かし、咄嗟の判断力や危機回避の為に身体が

素早く動いてくれる事に感謝しながら少しずつ名前を上げて行ったのだが、伝説の

走り屋だと言う迅帝こと宝坂令次のR34GT−Rが大クラッシュの末に炎上して

しまったと言う事を耳にして、ひそかに自分が次の首都高の伝説を作るんだと言う

野望を抱く様にもなった。

その為にはどうすれば良いかと言うと、かつて走っていた伝説のチームのメンバーを

自分でスカウトしてチームを作れば良いんじゃないかと言う結論に達した彼は、

引退していたり年齢のピークを過ぎていたりと言うかつてのメンバーの情報を首都高

サーキットの走り屋達から集めた。そしてまずはサーティンデビルズから兼山に声をかける

一方でチームゾディアックから周二、陽介、浩夜、ディール、グレイル、連、和美を

収集して2006年、28歳の時に「走り屋再生工場」としてチームBe Legendが始動した。


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