Run to the Another World第164話
ハクロ・ディールはニュージーランドのクライストチャーチ出身で現在39歳。
テレビで日本の時代劇を見てから日本文化に興味を持つ様になり、
大人になったら絶対に日本に移住すると決めていた。
それからと言うもの日本文化に触れてみたいと思った彼は、地元の
空手道場を見学した事を切っ掛けに空手を始めた。
元々ニュージーランド自体が、格闘技を含むスポーツが盛んに
行われている国であったのでディールもハイレベルな格闘技を習得するのに
子供の時からそう時間を要する事は無かったのである。
更に空手だけでは無く柔道を習い、合気道も習い、その他にも別の
格闘技をやってみようと思ってカンフーと栗山もやっているクラヴマガも習得。
また格闘技だけでは無く日本の料理にも興味を持ち、天ぷらや焼きそば等の
料理を自宅で日本料理の本を見て日系の食材店で材料を手に入れて
作る様になって行った。
今でも料理は趣味で日本料理以外にも結構作るのだが、やはり1番は
日本料理を作って自分で食う事だと言う。
そんなディールが日本にやって来たのは22歳、1997年の時であったのだが、
初めて来日した時に彼は物凄いカルチャーショックを受けた。
(あれ、サムライが居ない……!?)
そう、彼は時代劇の影響で日本が未だに侍の国であると本気で
信じ込んでいた為に、東京のビルや繁華街を見て動揺を隠し切れなかった。
そもそも日本に飛行機が飛んでいる時点で何かおかしいなと思ってはいたのだが、
結局それを受け入れて今も東京で暮らしている。
しかし、ディールはサムライやニンジャの文化に変わる新たなサムライ・スピリットを
日本で見つける事が出来た。
来日してからは英会話の講師で生計を立てていたのだが、同僚の講師に
首都高に誘われ、そこで初めて首都高の走り屋達の世界を目の当たりにする。
この狭い首都高で、しかも命知らずなスピードでカーブに向かって
突っ込んで行く日本の走り屋にディールはまたカルチャーショックを受けて、
自分も日本の走り屋に混ざりたいと思う様になった。
そして来日から2年後の1999年、生活も安定して車を買う事に
なったディールはY34のセドリックを新車でポーンと購入した。
普通のスポーツカーよりはセダンが好みだったので、自然と車選びも
こうした物になったのである。
それからと言うもの、ディールはスピードの快感を覚えると同時に
格闘技の経験で培った動体視力と身体能力、そして日本人の
サムライスピリットに負けない様にセドリックをチューニングしながら
走り続けて行った。
走り始めたのは24歳と、岩村と同じくしかも同じ年齢での遅い走り屋
デビューになったがそれを微塵も感じさせない上達振り、そして英会話講師の
稼ぎを格闘技のジムと最低限の生活費以外全てセドリックに注ぎ込んで
チューニングを施し、1年後には首都高サーキットでもトップクラスの走り屋として
注目される迄に成長したのであった。
そのまた1年後の2001年には自分でチームを作ったのだが、レベルの高い走り屋しか
集めたくないとわがままな要求をしていた為に、全くメンバーが集まらずに
孝司のチームであるゾディアックのメンバーとして活躍。
1度に沢山のパーツを買う程気前が良いのだが、ゾディアックが解散すると彼もまた
首都高サーキットから熱が冷めてしまい降りて行った。
それから5年後の2006年、今度は淳に誘われてBe Legendのメンバーとして
首都高サーキットに復帰し、車もスポーツカーに乗ってみようと思って
R32のGT−Rを購入して再び走り出したのであった。
今はやっぱりセダンが性に合ってると感じ、そのR32も売り払って再びセドリックで
首都高サーキットを走り込む毎日だ。
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