Run to the Another World第163話


中国地方の岡山県は備前市で生まれ育った橘陽介は、東京の大学に進学して

そのまま東京の公務員試験に合格した。そうして今は都内の高校で社会科の教師をしている。

専攻としては歴史が主になっており、世界史がその中でも得意科目だ。その一方で中学生の

時から走り屋のビデオを見ていたのが切っ掛けで、車の道にも強い憧れを示す事になる。

高校に入ってすぐ、15歳の時から地元のガソリンスタンドでアルバイトをして免許の費用を

貯め、18歳の時になってすぐに免許を取得して親の車で運転の練習をしつつ過ごして居た。

本当は自分も車が欲しかったのだが、高校生の内から車は買わせないと親に反対されたのも

あって、大学に進学して寮生活を始める様になってからようやく車を買う事が出来たのである。


今迄の経験を活かす為に、東京でのアルバイト先もガソリンスタンドに決めた。

時給の高さが地元の岡山とは段違いだったので、車を買える費用も

寮生活だったのでそこ迄お金も掛からずに貯める事が出来たのも大きかった。

最初に買ったのはS12のシルビアで、それを買って首都高を

がんがん走り回っていた陽介は後に大学を卒業して社会科の教師になる。

教師になってからも時間を見つけては首都高に走りに行き、自分で

走り屋のチームも結成してリーダーを務めていた経験もあったのである。


それから7年後の1999年、陽介は車を180SXに変更して今迄貯めていた金を

全て注ぎ込んでチューニングし、472馬力のパワーと軽さを活かしたコーナリングで

1年後にはディールと同じ新環状線のボスに選ばれていた。更に2001年にはこれも

ディールと同じくゾディアックに入り、2005年には知り合いのチームのNSXを操って

サーキットで走っていた事もある。自分のチームは1999年に「頂点は常にひとつ」と

言う言葉を有名レーサーからテレビで聞いた事で解散し、1人で走る様になっていた。

NSXでサーキットを走っていた陽介だったがすぐにそのチームも解散してしまい、

再び1人で走っていた所を淳に誘われてBe Legendのメンバーになる。

現在でもメンバーとして活躍し、復帰した事によってマシンもクラウンに替えてみたが

やっぱり馴染めず、結局180SXに戻して首都高サーキットを走り続けている。


一方彼自身は焼肉が大好きで、殆ど毎日食べていたら中年太りも相まって

体型が気になり始めた。それを見た浩夜に誘われ、レースでのスタミナ維持と

減量の為に周二も誘い、浩夜と共に29歳の時から総合格闘技を始めた。

お互いに刺激しあって特訓している為、3人のレベルは総合格闘技でも

かなり高い。また素早い動きを身に着ける為、学校の敷地を利用して

日夜フリーランニングの特訓に30歳から励んでいる。


何故フリーランニングなのかと言うと、素早い動きを身につける為に

格闘技以外でどう言ったスポーツをやれば良いのか悩んでいた時に、

インターネットの動画サイトで当時から公開されていたフリーランニングの

動画を発見し、これだったら学校の敷地で夜に練習出来ると

思い立ったからである。階段の手すりはフリーランニングの設備として

友達であると思っていたし、体育教師に頼み込んで器械体操や

アクロバットな技の練習をさせて貰った事もある。


それもこれも全て首都高で勝つ為、そして体型を維持して適切な

ドライビングポジションをずらさない為にする為に自分で考えたのである。

今ではアクロバティックな体操チックな技も当たり前にこなせる様になった他、

彼の勤める高校は治安が余り良くないのもあって護身術の一環として

ディールからカンフーやクラヴマガの棒術、剣術、ナイフ術、格闘術等を

フリーランニングやアクロバットな動きと組み合わせて習っている。


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