Run to the Another World第108話
異世界にトリップして来た35人の中には、関西で生まれ育った5人が居る。
その内の1人がこのマスターズの中に居る大阪人の飯田恵。そしてもう1人が
同じく関西は奈良県で生まれ育った現在43歳の鈴木流斗だ。
奈良県の大和高田市出身の流斗はそのまま10歳の時まで地元の大和
高田市で生活していたのだが、その後に親の転勤の都合で岐阜県に
引っ越す事になった。これが今の彼の人生に繋がる大きな出来事を引き起こす
切っ掛けのスタートになってしまう。
それは何故かと言うと、その2年後の12歳の時に母親が仕事の帰りに父親を
丁度迎えに行って一緒に帰って来る事になった。だがその両親が帰って来る時に
居眠り運転のトラックが横断歩道を渡っていた両親をそのまま信号無視で
2人とも撥ね飛ばしてしまい、当たり所が悪かった両親は運悪くそのまま
帰らぬ人となってしまった。
引っ越して来たばかりでこの土地に身寄りが無かった流斗は1人っ子だったと
言う事もありどうして言いか分からず、病院と警察で相談した所で今の
児童養護施設、つまりその当時の孤児院に送られる事になった。
そしてその孤児院での生活にも慣れて来た頃に出会ったのが、1歳年下の
岩村遼一と2歳年下の栗山裕二だった。この2人とは歳も近かった事から
一緒に良く遊んでいた為に、今でも実の兄弟の様に親しい。
そうして12歳から18歳まで孤児院で暮らしていた流斗はその2人よりも一足先に
孤児院を出所し、東京の飲料メーカーに就職が決まったのでそのまま上京する。
特にこの時点では将来の目標だとか夢だとかと言う物は存在していなかったのだが、
その飲料メーカーの先輩に車好きの人が居た事が彼の人生を大きく変える切っ掛けになった。
仕事で遅くなってしまった日に、先輩が帰り道が一緒の方だと言うのでついでに途中まで
乗せて行ってくれると言う事になりその先輩の車に乗せてもらう。それが当時20歳に
なったばかりの流斗が乗ったR32スカイラインGT−Rだった。
発売されてからまだ1年しか経っていなかったその車の暴力的な加速とパワーは、その頃は
車に全く興味が無かった流斗でもはっきりと分かる位に普通の車と違っていた。
それもその筈、先輩こそが首都高を走っていた走り屋の人間であったが為にそこまでの
パワーとスピードを流斗に体感させる事が出来たのである。
当時はバブル全盛期であった為に流斗も若いながら多額の給料を貰っていた。だが
それでもR32GT−Rを買うよりも先にしなければいけなかった事、それはその当時まだ流斗が
車の運転免許を持っていなかったので教習所に通って免許を取る事から始まった。
仕事の関係でなかなか教習所に通えず、何とかやっと免許を取ったのがそれから半年後の事で
あったのだが教習所代でお金を使ってしまった為に、まずは300万円位お金を貯めてから
車を買う事を考えようと堅実な計画を考えていた。
そしてそれからはこつこつとお金を貯めていったが、ある時にふとこんな事を考えた。
(どうせ最初はへたっぴーなんだから、新車じゃなくても良いんじゃないか?)
その考えに辿り着いたのが貯金が200万円貯まった時であり、当時のその貯金を何割かだけ
崩して最初に購入した車が2年前の1988年に発売したばかりだったクラウンの安い
スタンダードモデルもマニュアルモデルだった。
新車価格でも150万円位だったが、中古と言う事もあって125万円で購入する事が出来、
このクラウンでまずは腕を磨く為に自分も首都高へと走りに行く日々が続いた。
だがそのクラウンに乗って走っている内に、R32GT−Rよりも実用性が高い事で段々と趣味が
4ドアセダンへと傾く様になった流斗は次に乗り換える車も4ドアセダンにしようと言う結論になる。
そしてクラウンを買った翌年に同じトヨタから発売されたセダンのアリストを見た瞬間、流斗の中で
これだ! と言うものを感じたのは言うまでも無かった。とは言えクラウンを買ったばかりだったので
走りこみ費用の捻出とまた貯金をする事になり、結局その当時に出たアリストを買う事は出来ないまま
実にクラウンを買ってから7年の月日が流れて行った。
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