第2部第7話
緒美の職業は前述の通りドーナツ屋。平日は昼時、土日祝日はそれ以上に昼間が混む。
ドーナツ自体手軽に食べられるファーストフード、というのが一番大きいだろう。
さて、そんなドーナツ屋にやってきたのは1人のやたらちゃらちゃらしてる男。アクセサリーじゃらじゃらで緑っぽい灰色の髪をした、目の小さい男。
「いらっしゃいませ」
「チョコドーナツとあんドーナツ1つずつ。後コーラな」
「かしこまりました」
ドーナツを袋につめながら、緒美は店の外に停まっているS13シルビアに目をやった。この男が乗ってきた物だ。
「シルビア…」
「え?」
「あ、いえ。お会計、合計で340円です。…400円お預かり致します。60円のお返しです。ありがとうございました」
すると、男は辺りを見渡してレジに人がいないことを確認する。
そして次の瞬間、緒美にこんな事を切り出した。
「いきなりで失礼だが…もしかして、最近首都高を荒らし回ってるロードスターのドライバーって、君か?」
「え…?」
いきなりのことに動転するが、気を取り直して男の質問に受け答えする緒美。
「ええ、そうですけど…何故わかったんですか?」
「ここの店員用の駐車場に、その噂の奴とナンバーが一致する白いロードスターが停まっていたんでな。しかもドライバーは女と聞いた。
俺はこの店によく食いに来るんだが、店員で女は君だけだ。…俺は高崎 和人(たかさき かずと)。今夜11時にC1内回りで待ってるぜ」
「あ、あのちょっと…!」
しかし和人はそのままシルビアに乗り込み、走り去っていってしまった。
「おい、そいつはまずいぞ…!」
仕事が終わって首都高へ向かう途中、俊明にその事を話すと開口一番、俊明は驚きを隠さずそう言った。
和人は経験がちょっと浅いが、C1の中ではボスとして君臨する程の走り屋だという。
パルサーVZ−RのN1、シルエイティ、そしてシルビアと日産車ばかり乗り継いできている日産マニアである。
俊明はそれ以前から走っているので、和人のこともよく知っている。
「山本さん…あの…勝てますかね…?」
「ハッキリ言って今では少し厳しいだろうな。だが今夜バトルするなら、俺がこのまま隣に乗ってアドバイスする」
なんと、和人とのバトルに俊明が横に乗ってくれるらしい。
「あ…ありがとうございます! 宜しくお願いします」
C1内回りに入り、2〜3周流していると浜崎橋ジャンクション手前で停車している和人を発見。
横を通り過ぎると、和人は追いかけてパッシングしてきた。
「よし、じゃあその分岐を左に行って、カーブ抜けたらアクセル全開だ」
「はい」
緒美と和人はC1環状線でバトル開始。和人のシルビアは推定250馬力。
緒美のロードスターは150馬力くらいだろう。しかし車重を考えるとそのパワー差は埋まる。
「シルビアにはターボついてるからと言ってびびることはない。俺の言う通りにやってみてくれ」
「は…はい!」
「よし、ならこの連続アップダウンの高速コーナーは、今なら最初のコーナーだけブレーキ、後はアクセル全開とハンドル操作で行けるぞ!」
「ええっ!?」
いつもはアクセルを何処かしらで抜くのだが、そこをアクセル全開?
とりあえず指示に従うしか和人には勝てないと思い、俊明の言う通りコーナリング。
すると緒美の目の前にあり得ない光景が。
何と、アザーカーが居ないではないか…!
「こんな事はごくまれだが、たまに他の車がいない時がある。こういう場合は、軽いロードスターの武器を存分に使えるだろ」
和人は若干アクセルを抜いてコーナリングするので、緒美との差が開いてしまう。
「凄い…シルビアが離れていく!」
「一気に引き離して、和人をリタイアさせるぜ。このままアクセル全開だ!」
ターボパワーで追いついてくる和人ではあるが、俊明の的確なアドバイスで緒美は良いコーナリングをする。
シルビアよりも速い。
「大丈夫、アンダーに気をつけて1つ1つ確実にクリアしよう」
ちらっとバックミラーを見れば、ジリジリと引き離されていくのに焦ったのか、和人はコーナーというコーナーでアンダーを出しまくっている。
本当にボスなのか? と思うが、紛れもなくボスである。
こうして和人は、あっさり緒美にふりきられてバトルに負けたのであった。
和人を倒し、続いて向かうは新環状線。
外観のドレスアップもしてみることにした緒美のロードスターは、ライトを明るいものに変える。
エアロはつけていない。
そして明るく照らすライトで新環状線を走り回るが、環状線よりもパワーの差が激しい。
加えてこの新環状線はほとんど直線。速いクルマになれば300キロを超える。
正直今のロードスターでは厳しい。
バトルで相手を打ち負かせば金が入ってくるとはいえ、まだそういった速いクルマが手に入るだけの金は…銀行に入っていない。
ロードスターで勝つには、環状線と新環状で路線が重なる部分…銀座付近で勝負をかけるしかないようだ。
それに相手を環状線に誘い込んでしまえば、こっちのものである。
以上のことから、C1に合流してくる新環状線の走り屋を銀座線だけで撃墜していく。どんな走り屋でも
ここでは必ずスピードを落とす。緒美も、俊明も、和人も例外ではない。
緒美はロードスターの軽さを生かし、楽勝とまでは行かないが、結構いい感じに勝ったり負けたりを繰り返しつつ、バトルを挑んでいく。
そして今日もC1内回りまでの区間でバトル。今夜はもう既に3周目に突入している緒美の相手は、紫のマツダRX−8だ。
(見かけない車ね。しかもドライバーは髪が長かった…女かな?)
取りあえずパッシング。するとRX−8も応じてバトルに突入。加速は同じくらいだ。
(先輩は…RX−8はRX−7より重くなった車、とか言ってたけどね)
アクセルを踏み込んで汐留S字へ。
ここでブレーキングでもたつくRX−8をあっさりパスするが、立ち上がりで抜き返される。
(速い! でもこの先のコーナーでは私のほうが速いのよ!)
トンネル内のS字コーナーでは緒美が抜き返し、いい感じでブロック。
その後のS字で少し引き離すが、直線ではRX−8がロードスターに張り付く。
(ここは…突っ込み勝負!)
前を見据えて、銀座の名物である分離帯コーナーに向かってアクセル全開で突っ込んでいく。
(ここでついてこられるかしら? そのでかいRX−8で!)
RX−8は緒美に頑張ってついていこうとしたが、やはりアクセル全開では突っ込めずに減速。
ロードスターと差を広げられてしまい、そのまま振りきられてしまった。
(ふう…ギリギリだったわね…)
そのままC1内回りを廻って帰ろうとしたのだが、白いSW20型MR2の横を通り過ぎた途端、パッシングされた。
(パッシング…?)
特に断る理由はないので、帰るついでに最後のバトルとなった。
しかしここで誤算が生じる。
ターボ付きのMR2にパワーで負けるのは当たり前だが、いつものようにバトルをしすぎてしまった。
おかげでタイヤがまともにグリップしない。エンジンの調子はそこそこであるが…。
(これはまずい! やっぱり受けないで帰るべきだったわね!)
だが受けてしまった以上、緒美はMR2に最後まで付き合うことにする。
ステアリングをこじらせ、何とかフロントタイヤをグリップさせる。
MR2はいっこうに離れない。
が、運も実力の内と言ったところであろうか。
千代田トンネルに入ったロードスターの前に、ソーイングしながら走っている赤いFD3Sが現れる。
しかし何かをふんでしまったのか、目の前でそのFDはスピン!
(うわわわっ!)
とっさにブレーキングとハンドリングで緒美は回避したが、ボディ左を少しぶつけてしまう。
だが後ろのMR2はFDを回避するために、わざとスピンしていた。
これで大きくロードスターとの差を広げられてしまい、偶然ではあるが緒美は勝利してしまったのである。
(助かった…もしあのRX−7がスピンしなかったら、絶対に私負けてた。今日はまぐれね…)
首都高サーキットを降りて、疲れたので一旦路肩に停まって休憩。すると後ろから、さっきのMR2とRX−8がやって来た。
MR2からは白い髪の男、RX−8からはフチ無しメガネを掛けた金髪の女が降りてきた。
「さっきはどうも」
「あ…はい。お2人はあまり見かけない方ですよね?」
「ああ。俺は芝山(しばやま)。週に1度しか俺は走りに来ない。妻子持ちだから家内には内緒でここに来ているんでな」
「私は荒井 真美子(あらい まみこ)。よろしくね」
「緒美です」
この2人はどこのチームにも属さないで走る、ワンダラーといった存在。聞けば真美子は、緒美のロードスターの
ライトの光が特徴的だったからバトルを仕掛けたとのこと。
何でも、人でも車でも印象的な目に弱いのだそうだ。
芝山は1週間に1度、仕事帰りにここに立ち寄るらしい。
緒美のことは噂が耳に入ってきていたらしく、2人とも知っていた。
と、真美子がこんな話を切り出す。
「そうそう。最近新環状の方にも来ているみたいだけど、あのアリストには勝てるかしら?」
「アリスト?」
確かアリストといえば、スープラと同じエンジンのハイパワーセダン。
環状線では戦ったことがあるが…新環状ではきついだろう。
「3年前くらいからここ走ってる、ワインレッドのアリスト」
「ああ、ブラッドハウンドだな、それは」
ブラッドハウンド…聞き覚えのない通り名だ。
「新環状線左回りも走って、ライバル倒していけば出てくるはずよ。それじゃ私達はこれで…」
相手がアリストとなれば、もっとパワーのあるマシンじゃないと厳しいだろう。
緒美はロードスターからのマシンの乗り換えを決意した。