第0.5部第2話
「連が…負けた?」
先に戻ってきた孝司のRX−7を見て、岸が呆然とした顔で見ている。
確かにコースの熟練度の差はあったかもしれないが、それでも終盤まで孝司についていけたというのは事実。
(やっぱ、連でもコースに慣れていないと無理なのかな。連が僕とバトルしたときは、連の奴、首都高相当走りこんでいたからな)
大切なのはコースの熟練度なのかもしれない、という思いが、このとき岸の中に生まれてきていた。
連はR32から降り、はぁ、とため息をついた。そんな連に対し、孝司が自信満々に話しかける。
「残念だったな。首都高のチャンプだって知って、少しは楽しめそうだと思ったのによ」
しかし、それに対して岸が反論する。
「おいちょっと待て! 連はこのコースを数本しか走って無いんだ! それに加えておま…あんたは何本も走りこんでるだろ!
いくら連が速くたって、コースに慣れていないと…」
「もういい」
岸の孝司への反論に対して、止めたのは連自身だった。
「俺は負けた。考えてみれば、プロのドライバーは…数本走っただけで、どういうコースなのかを判断しないといけない時もある。
俺はプロじゃないけど、首都高最速と呼ばれているにも関わらずそれが出来なかった。だからあの様だ。
2時間もの猶予が与えられていて、そこで勝てないとなると…無様だな、俺は」
それから数日後。連はいつものように環状線内回りを走っていたが、思い出すのはあの白いRX−7のことばかり。
相手の選んだコースとはいえ、勝てなかったのは今でも悔しい。
最近空手にも、あまり力が入っていない。
(くそっ!)
アクセルを踏み込み、いつもとは違って勢い任せのドライビングをする連。
しかし、それで上手く行くはずもなく、ついには…。
「だぁっ!?」
霞ヶ関トンネルの入り口の右中速コーナーで、スピンをかましてしまった。
アテーサがついているR32でスピンとは、結構珍しい。
せめて環状線だったら…いや、それでも勝てたか怪しい。
あのRX−7はコーナーが異常に速い。いくら直線で抜いても、コーナーで抜かれてしまう。
(俺は、どうしたら良いんだ…)
車の性能で言い訳は出来そうも無い。あっちのRX−7には直線で勝っていた。
もっと鍛練が必要なのか…それよりも…。
PAに戻った連の前に、岸のNSXが現れた。
岸も数日前の事を、連が気にしている事を気が付いているみたいだ。
「連…大丈夫かよ?」
しかし、その岸の問いかけに、連はぶんぶんとかぶりを振る。
「…俺、今はもう、自信が沸いてこないんだ…。正直環状線だけで最強になって、天狗になってたのかもな。
考えてみれば、富士スピードウェイにも、筑波サーキットにも、速い奴がたくさんいた。
そう、中にはレーシングチームから声がかかった奴も居たっけ…」
所詮、俺は井の中の蛙(かわず)だったんだな、と連はポツリと呟いた。
そんな連に対し、岸はふと、こんなことを思い出して声をかける。
「そういえば…さ。ちょっと気になる噂があるんだけど」
「え?」
顔を上げた連の目を真っ直ぐに見て、岸は話を続ける。
「何でも、最近連みたいな走り屋がまた出てきたって話なんだ。そいつはハチロクに乗っているらしくて、中々良い走りをしているらしい」
「ハチロク…?」
シルビアとかならまだしも、ハチロク? 連の頭の中に「?」マークがたくさん浮かぶ。
首都高では、パワーの無い車はあっさり振り切られるのがオチだというのに…。
「エンジン…別の車の奴に載せ換えてる…とか?」
しかし、岸は首を横に振って否定。
「いや、普通の4A−Gエンジン…しかもライトカスタムだって。どうも見た奴が言うには、コーナーの突っ込みが速いらしくて」
「コーナーが?」
「ああ。それで環状の連中は、殆どやられてるって話だぜ。実際に僕はまだ、会った事無いんだけど。
…それで、どうだ。そいつの顔、拝んでみたくないか?」
という訳で、2人は環状線内回りへとやってきた。とりあえず、2人で手分けして環状線を流してみる。
本当はいけないが、ハンズフリーの携帯電話で2人で会話をする。
ちなみに岸が用意したものだ。
「どうだ? そっちは?」
「いいや、こっちには居ないなー。連の方は?」
「こっちも居ないな」
警戒しているのだろうか、それか大排気量の車相手には出てこないのだろうか。
…と、連が思っていた時だった。
後ろから眩しいパッシングの光が。ミラーを見ると、そこには赤と黒のツートンカラーのマシンが1台。
(これは…)
ハザードで応対し、横にその車を並ばせてみると…ハチロクのトレノだ。
連は岸に連絡を入れる。
「岸、俺にパッシングをかましてきたぜ」
「本当か!?」
「ああ。このままバトルに突入する。そっちは80キロくらいで流していてくれ。すぐに追いつくと思う」
「判った。SPゲージの残りには気をつけろよ!」
通話を終了させ、そのハチロクとのバトルが霞ヶ関トンネル出口から始まった。
直線では圧倒的にR32が速いが、ハチロクは噂どおりコーナーで差を詰めてくる。
(この感じ…!)
数日前のRX−7との勝負が頭をよぎるが、連は首を振って考えを打ち消す。
(大丈夫…パワーは圧倒的にこっちが上! ましてここは俺の得意な環状線!)
スピードがあの工場地帯に比べて圧倒的に違うここでは、大丈夫だと連は踏む。
バトルは赤坂ストレートを過ぎ、連続S字区間へと突入していく。直線ではアクセルを緩めて、なるべくバトルを長引かせようとする連。
更にハチロクをわざと前に出させ、じっくりとその走りを観察してみる。
(軽さを活かしたコーナリングスピードで、コーナーで差をつける。でも、立ち上がりではやっぱり辛そうだな)
某漫画のハチロク乗りの様に、慣性ドリフトというものはハチロクからは一切見えてこない。
グリップ走行で、終始落ち着いて攻めているといった感じだ。
(確かに速い…とは車の差もあって一概には言えないけど、センスがいいな…)
そして何だか、ハチロクの走り方には若さが感じられる。
怖いもの知らずでコーナーにどんどん突っ込んでいくかのような、アグレッシブな走り。
落ち着いた走り方の中に、そういったアグレッシブな一面も垣間見ることが出来る。
「お、来た来た…」
岸はNSXのバックミラーをちらりと見て、連のR32と噂のハチロクがやってきたことを確認。
2台が横を通り過ぎ、岸はその2台を追いかけ始める。
(バトルじゃないからね…あくまで観戦だ!)
連も岸のNSXが追いかけてきたのを知り、ハチロクの前に直線で出た。
岸にハチロクの走りを見せるためだ。
しかし、ハチロクもR32も、SPゲージがあまり残っていない。
(この先の汐留S字コーナーで…SP限界かな)
銀座線に合流する、下りながらのきつい左コーナーを抜け、問題の汐留S字へ。
ハチロクはここで、突っ込み勝負を仕掛けてきた!
(来たか!)
連は焦らず、突っ込みでハチロクを先に行かせる。
そして2個目の右コーナーでアウト側から進入し、立ち上がりで失速したハチロクを横から抜き去った。
(よし!)
連が首都高サーキットを下りると、後ろからさっきのハチロクと岸のNSXもついてきた。
どうやらハチロクのドライバーの顔を拝む時が来たようだ。
(どんな奴が乗っているんだか…)
そしてハチロクの中から出てきたのは、耳ぐらいの長さまでで切りそろえた黒髪に、切れ長の赤い目、秀麗な顔立ちの青年だった。
(うわ、イケメン…)
某青年グループの一員では無いか、と思わせるその男は、連が言葉を発する前に先に口を開いた。
「速いですね。俺、感動しました!」
陽気な性格のようだ。とりあえず名前を聞いてみることに。
「お…おう。君も結構速いな。俺は椎名 連。このNSXのメガネは知り合いだ」
「岸 泰紀って言うんだ。よろしく。えーと、君は…」
「令次です。宝坂 令次(たからざか れいじ)って言います」
何とも不思議な苗字だ。
「変わった苗字だな。僕は初めて聞いたよ」
「そうですね。よく言われます。…岸さんと連さんは、この首都高は良く走っているんですか?」
「ああ…俺も岸もよく走っているよ」
しかし、ここで岸が言わなくても良い事を言ってしまう。
「連はな、『環状線の四天王』って言われてた僕を倒しただけじゃなく、新たに現れた4人の『裏四天王』も倒したんだよ」
「おい、よけーな事言うなよ!」
だが、その言葉を聞いた途端、令次が呆気(あっけ)に取られた顔になっていた。
「えっ、それってまさか…パープルメテオさんですか!?」
「ま、まぁな…でも、俺は別にそんな名前で呼んで欲しくは無いかな」
「そうですか…で、ですけど連さんの噂は聞いてます! その紫のR32が、あっという間に首都高サーキットを制覇したって!」
「そんなこと…俺だって最初は負けてたさ。車も黒のS13だったし。それに…」
一旦言葉を切って、連は続ける。
「それに俺は、まだC1以外を走ったことが無い。だからそっちの方も確かめに行かなきゃな」
そして、連は令次に信じられないことを言い出した。
「実は…俺、つい最近負けてるんだよ。白いFD3Sの、RX−7に」
「え?」
「だから…もし令次にその気があるのなら、俺と手を組んで倒さないか? そいつをさ」
「お、俺が…!?」
令次は連の要望に、目を見開いて問い返す。
「ああ。ハチロクであそこまで良い突っ込みが出来るんだ。俺のテクニックを全て教える。だから、一緒にやろうぜ」
その連の言葉に、令次はふっと笑って答えた。
「…まだまだ拙い医学生の走り屋ですが、よろしくお願いします…師匠」
「おいおい師匠って…参ったな」
しかし、岸だけはどうしても納得が行かない。
「おい連! 僕の時は断ったのに、何でだよ?」
事実、1回だけ弟子にしてくれと言った時、岸は連に断られている。なのに何故?
「あんたは俺と同じくらいのテクニックを持ってるし、車は俺以上に凄い。もう育てる余地なんざ無いだろ」
岸はその言葉に「うっ」と言葉を詰まらせるが、別の提案をする。
「…そうか。なら…連が仕事忙しかったり、空手の道場で行けなかったりした時は、令次と一緒に僕が走るのは…」
「別にそれは岸の勝手だから、俺は口は出さないぜ」
「そ、そうか。良いかな、令次?」
「はい! 勿論です!」
こうして「パープルメテオ」こと椎名 連、「夢見の生霊」こと岸 泰紀、「首都高の挑戦者」宝坂令次のトリオによる、
4月からオープンの「新」首都高サーキット、完全制覇への道がスタートしたのであった。