A Solitary Battle Another World Fight Stories 2nd stage第35話
ロシェルはまずしっかりとストレッチから始める。
中途半端なストレッチだと思わぬ怪我に繋がる危険性があるので、十分に身体を温めておくのだ。
(城で働く前に、ストレッチ無しで運動して怪我なんて御免だぜ)
アキレス腱を伸ばし、腕をグルグル回し、更にはゆっくりと開脚して全身をほぐす。
その間にコラードもストレッチをしたり、自分の武器である大斧の状態を確かめていた。
勿論使う武器はクリスピンが持って来る予定の模擬戦用の大斧なのだが、ロシェルがストレッチを
している間は手持ち無沙汰になるからである。
「結構念入りなのだな」
「ああ……前にストレッチを甘く見て、足が上手く動かなくて負けた事がありましてね。それからは
しっかりとストレッチをする様になったんですよ」
だが、本当であればもう1つやらなければいけない事がある。
「あ……そうだ。せっかくムエタイをお見せするんですし、ワイクルーをお見せしましょうか?」
「わいくるー……?」
「師に礼を示す、と言う意味を持つ言葉ですね。ちなみにこれはムエタイの発祥の地であるタイ王国って言う国が
あって、そこの国民は子供の頃にワイクルーを教えて貰うんです。だからタイの国民は全員知っているんですよ」
「ほう、それは国民に教え込まれた礼の儀式なのか」
何時の間にか鍛錬用の武器を持って噴水前に戻って来ていたクリスピンも、ロシェルの教えようとしている
ワイクルーに興味があるらしい。
「そうです。ワイクルーの日って言う祝日もあるんです。そのワイクルーを今からお見せしますよ」
とは言うものの、これを全部やろうとすると5分以上はかかってしまうのでロシェルは少しカットしながらやって行く。
基本的には礼の儀式の為、正座をして頭から3回土下座をする。そこから地面の花を集めて師に捧げる
モーションをしたりして最大限の祈りを捧げる事で礼を尽くすのだ。
「……一部省略しましたけど、こんな感じで自分の師匠や尊敬する人に礼をするんです」
「お前はタイって言う国の人間では無い筈だったが、これはムエタイ選手全員が習うものなのか?」
「はい。これを無くしてムエタイを語る事は出来ませんよ」
それに関連した形で、ロシェルがワイクルーの意味と歴史を話す。
「今からコラードさんと始める手合わせみたいに、昔はこうして外で試合をやってたんです。だから戦う前に地面の
状態を確かめる為にこのワイクルーをしてた事もあったんですよ」
そう聞いて、コラードがロシェルの動きを思い出す。
「ああ、そう言えばさっき地面に膝をついて手を地面に沿わせていたな」
「ええ。あれは師に対して花を摘んでそれを差し上げるって言うジェスチャーなんですけど、
地面の状態を確かめる事も出来ますから」
「他に何か意味があるものなのか?」
それだけじゃ無いのだろうとクリスピンが尋ねれば、ロシェルは何処か満足そうに頷く。
「どっちかって言えば、今ではウォームアップの意味でしかやらない選手も多いですけどね。だから別に必ずワイクルーはしなくても
良いんですけど、儀式として……そしてマナーとして行った方が良いとされてますから、俺が紹介の意味も込めてさせて貰いました」
「儀式か。確かに動きを見ていると何と無く分かる。古くから伝わっている伝統ある儀式らしいな」
クリスピンに聞かれたロシェルがそう答えると、感心した様に手合わせの相手になって貰うコラードが頷いた。
「そうです。儀式であると同時にこれは正式なムエタイでの義務である以上、ムエタイ選手は絶対知ってなきゃいけない事なんです」
その正式な儀式であるワイクルーも済ませ、ようやく手合わせに入る事になった。
「どうもお待たせしました。それじゃあ始めましょうか?」
「ああ。結構時間は掛かったが儀式であるのなら私も止めさせる訳にはいかないからな。私の方は準備は何時でも良いぞ?」
「なら大丈夫ですね。えーとクリスピン団長、ルールは?」
話を振られたクリスピンは、ここで改めてルールの説明をする。
「模擬戦とする。相手を地面に倒して武器を突きつけるか、相手を気絶させるか、相手の武器を飛ばすか、相手に降参の意を示させれば勝ちだ」
「相手に武器を突きつければ勝ちって言うのはコラードさんで、相手の武器を飛ばせば勝ちって言うのは俺の方のルールですね?」
そのロシェルの疑問に、クリスピンは一瞬考えて首を横に振る。
「いや……別に拳を突きつけても問題は無いぞ」
「分かりました。それと時間は如何します?」
「ああ、団長も仕事があるだろう? 区切りの良い所で時間制限を設けるべきだと思うが」
ロシェルの質問とコラードの疑問に、クリスピンは再び首を横に振る。
「それも問題は無い。今日の分の仕事はある程度終わったから1時間位ならまだ余裕がある」
「あ、そうなんですか?」
「そうか。だったら無制限って事で良いな?」
「御前達が問題無ければ私も構わん。それでは始めるぞ。2人とも少し相手から離れて構えを取るんだ」
そのクリスピンのセリフに、広場の中央で2人は噴水をバックにしてそれぞれファイティングポーズを取って向かい合った。
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