最後の弾丸






 

氷の手が伸びてくる。


悪夢の底から。


見えない闇から。


いつかの記憶の断片から。








一人掛けのカウチに腰掛けていたジョルジョはコーヒーの入ったカップを手に、組んだ膝の上でパラパラと雑誌をめくっていた。

香ばしい匂いがまだ残っているこの居間で、別のソファで眠りこけているエヴァンの寝息を聞くともなく聞いている。

どこかで規則的な振動音が聞こえてジョルジョは顔をふと上げた。それが先程キッチンに行った時に置き忘れた自分の携帯電話だと気付き、カウチから腰を上げる。

キッチンへと移動し、カウンターのシンクの側で振動している携帯電話を取り上げ――相手番号が通知されていないことを不審に思いながら、通話ボタンを押した。

「はい」

数秒経ったが返事が無い。

「……もしもし?」

電波の向こうで微かなノイズがするばかりで、他は何も聞こえない。

「………」

間違い電話だと思い、切ることもできた。だがじっと耳を澄まして相手の反応を待とうとしたのは何かの予感か。


『……ブルーノの末裔だな』


微かに息を呑んでしまったのを悟られただろうか?

「…あんたは?」

冷静に聞き返すジョルジョを無視して、しゃがれた悪魔のような声は続けた。

『今から1時間後、指定の場所へ来い』

「……行かなかったとしたら?」

クッ、と冷えた笑いが耳の遠くで聞こえた。

『あの金髪の坊やがどうなってもいいのか?』

ここで取り乱して居間へと駆け戻るほど、ジョルジョは粗忽ではなかった。

窓は閉めた。カーテンも閉まっている。たとえ開いていたとしても、唯一の狙撃ポイントであるビルの屋上からエヴァンの寝ているソファは死角のはずだ。

だが――舌打ちが漏れそうになるのを、ジョルジョはかろうじて抑え込んだ。

…相手は今この場のことを言っているのではない。何故なら、エヴァンを撃つ機会なら多々あったはずだ。

殺ろうと思えばいつでもできる。相手の言い分を悟り、ジョルジョは自分の立場を知った。

「…指定の場所とは?」

相手は、場所を告げるとすぐに電話を切った。

「…………」

足音を忍ばせて居間へと戻ると、エヴァンはブランケットに包まって何ら変わりなく寝息を立てている。

安堵して部屋をそのまま横切り自室へ入ると、クローゼットからジャケットを取り出して羽織り予備の弾丸を手にして再び部屋を出た。

ハンドガンを懐へとしまい込み、ジョルジョは玄関へと向かいかけ――ふと気になって居間のソファを振り返った。

幸せそうな顔で眠るエヴァンの姿を見下ろして、暫しジョルジョは黙っていた。

だが。

すぐに背を向けると、先程と同様に音を忍ばせて玄関の鍵を外し、ドアを開けた。

部屋を出たジョルジョは冷たい風にジャケットの衿を立て、無言のまま深夜のミラノの街へと紛れた。






気配が完全に消えたのが判ると、エヴァンは目を開けた。

ソファの上で体を起こし、たった今ジョルジョが出て行った玄関の戸を食い入るように見つめていた。








昼間は威厳と荘厳に満ちて見る者に感動と安らぎを与える大聖堂は、闇の中で微かにシルエットを映し出している。

スフォルツェスコ城に隣接するセンピオーネ公園を抜けて暫く歩くと、指定場所の廃ビルは隠れていたのを見つかったかのように姿を見せた。

エントランスの扉は年月と雨風による劣化でひどく錆びて半ば崩れ落ちていたが、撃ち込まれた弾痕の具合から錠が壊されたのはごく最近ということが判る。

重い扉を開けて中へと入ると、隠そうともしない濃い殺気に鳥肌がたった。


ポンプ音、コッキングレバーを引く微かな音、撃鉄を起こす音、安全装置の外れる音。

4人、あるいはそれ以上か。


銃撃戦は唐突に始まった。

不意をつこうとすぐ側で影が動いたのを見過ごさなかったジョルジョは、横様へと飛びながら相手に2発撃ち込み、柱の影へと隠れた。

だが、フルオートで撃ち出される9ミリ弾が柱の角を削り、拡散したショットシェルが柱へと吸い込まれ、柱はビシリと亀裂が入る。

柱の影から影へと素早く移動すると、追うように飛んでくるマシンガンの火花が僅かに相手の居場所を照らした。

1発を相手の頭に確実に決め、ジョルジョは動かなくなった死体の手からサブマシンガンを奪うと、こちらに狙いをつけていたひとりを撃った。

そして撃ち捨てられていた積荷の影に身を潜めている者への威嚇射撃を繰り返す。

焦れて飛び出し様に撃ってきた散弾を身を低くしてやり過ごし、ジョルジョは冷静に相手を撃ち絶命させた。


辺りは再び静寂に包まれた。入り込んでくる冷たい隙間風が駆け抜けるのが異様に長く感じられる。

ジョルジョは銃口を下げ怯むことなく柱の影から出ると、見えない相手に言った。

「隠れていないで出てきたらどうだ」

どんな音も聞き逃すまいとジョルジョは耳に意識を集中させた。だが、その必要はなかった。

数瞬の後、先の闇の中から男が姿を現した。

「…ミラノに流れていたという噂は掴んでいたが。まさか名も変えずに堂々と暮らしているとはな」

潔く姿を見せたのは――潰れた鼻、唇のめくれ上がった口、片方は傷に埋まり片方は腫れた瞼の目。

異形とも言える不気味な顔は、墓場のアンデッドを思い起こさせた。

だが、微かに感じられる年老いた気配は40代か50代か。自分の父が生きていたら、この男は父と同年代かもしれないと――理由もなく思い描いた。

「訛りを隠しているようだが、あんたもシチリアの出か?」

「察しがいい。お前と同じパレルモさ」

やはりな、とジョルジョは納得した。口調と声からすると電話をよこしてきたのはこの男に間違いないだろう。

昔に比べ、パレルモのマフィアもマフィア同士の抗争も現在では格段に減った。

ファミリー・ブルーノが暗躍していた頃と同時代のマフィアは――良かれ悪しかれ父と繋がりのあったマフィアはもう、現在では壊滅しているはずだ。

ともすれば自分と同じく、この男もその頃の数少ない生き残りと考えるべきだろう。

ジョルジョは手にしていたサブマシンガンを投げ捨てた。

「…何の真似だ?」

「考え直してくれないか。俺はもうマフィアでも何でもない。あんただって多分そうだろう」

男は低く笑った。

「死ぬのが怖くなったのか。それともおれを撃つのが怖いのか」

だがジョルジョは目を伏せかぶりを振った。

「俺が死んでも何の利益にもならない。それだけだ」

男がリボルバーを構えても、ジョルジョは自分のオートマチックを抜かなかった。

と、その時。


銃声が響き、男の手からマグナムが飛んだ。

さらに2発。男は瞼の下に落ち窪んだ片方だけの目をカッと見開き、体を痙攣させてガクリと膝をついた。


「…エヴァン!?」

油断なく男に銃の狙いを定めたまま、戸口にいたエヴァンはゆっくりとこちらへやってきた。

くずおれていた男が呻き、離れたところに落ちた銃を取り戻そうとするかのように伸ばした手が蠢いた。

「動くな!」

その手がエヴァンの言葉にびくりと震えた。

「…あんたは3つのミスを犯した。ひとつは指定時間を1時間後にして相手に時間を与え過ぎたこと。もうひとつは少人数で勝てると相手を甘くみたこと。そして最後のひとつはオレについて知らなかったこと」

エヴァンの言い放った微かにフランス訛りのある英語に、男はさらに血走った目を見開き――ジョルジョ、エヴァンと交互に目を走らせ、驚愕の表情を隠さぬまま絶え絶えに呟いた。

「――…フランス人……だと……?」

「ウイ」

そのとおり、とエヴァンは冷ややかに笑いトリガーにかけた指に力を込めた。

「…オールヴォワール、ムッシュー」


パン、と乾いた音がしてこめかみに穴が空くと、男は二度と動かなくなった。








「おい、待てよオッサン!」

足早にセンピオーネ公園を抜けていくジョルジョを追って、エヴァンは何度も叫んだ。

「…ったく、待てって言ってンだろ!何怒ってんだよさっきから」

追いついたエヴァンは無理矢理ジョルジョの肩を掴みこちらを向かせようとする。だがジョルジョはその手を払い、足を止めなかった。

さすがのエヴァンも苛立ちが募り、聞こえよがしに大袈裟にぼやいた。

「あーあ!助けてやったこと感謝してくれたって良さそーなモンなのに。んーなに冷たくされっとはね」

「……感謝、だと?」

ジョルジョは足を止めた。そして振り返った彼らしくもない、明らかにポーカーフェイスを崩した怒りの表情に、エヴァンは少しだけ怯んだが気丈に睨み返す。

「ああ、そうさ。あのままじゃお前――…確実に死んでただろーが!」

「助けてくれとお前に頼んだ覚えは無い!なぜ来た?」

「はあ!?そんなこと決まってんだろ!!」

じれったくて堪らないといった様子でエヴァンは言い返した。

「パートナーがピンチになってるっつーのに、黙って傍観してられっかよ!!」

「………」

睨み合った2人の間に沈黙が流れた。

風が辺りを抜けて行き、ザワザワと木々を揺らす音がいやに大きく響いて聞こえた。

「…――んで…?」

沈黙を破ったのもやはりエヴァンだ。

「何で…撃たなかったんだよ。撃てたはずだろ?」

「………」


痛いところを突かれた。

そう、撃てたはずだった。だがジョルジョは撃たなかった。

あの男は敵だった。だが、かつてのシチリアで激動の闇――マフィア界を生き抜いてきたという点で、自分とあの男は共通していた。

殺したくないと思ってしまった。避けられる闘いなら避けて、互いにもう2度と顔を合わせずに生きて行けるならそれが最も魅力的に思えた。

ぎりぎりのところまで自分が判断を遅らせた結果、無関係なエヴァンに、まだ人を殺すことに完全に慣れていない相棒に引き金を引かせてしまった。

自分がけりをつけるべき相手への最後の弾丸を他人に委ねてしまったのだ。

このやりきれなさに怒りをぶつける相手もエヴァンかと思うと、ジョルジョは自分にうんざりした。


「…結局何も話してくれねえのかよ」

怒りのあまり、とうとうエヴァンの声が震えた。

「オレはあんたを信用して命預けてんのに、あんたはこれっぽっちも信じちゃくれないとはね。…それとも何かよ。オッサンもフランス人ってだけでオレを信用してもいねえのかよ!」

「…え?」

ジョルジョが驚きを隠さずにいると、エヴァンは自嘲的に笑った。

「……知ってたさ。オレ達フランス人がパレルモの人間に嫌われてたってことくらい」

「…………」

「死ぬのが怖くて人なんて殺せるかよ!オレは…オレはVSSEにスカウトされたことを軽く喜んだことなんて一度も無えんだぞ!あんたのパートナーをやるからには――……」

「もういい、エヴァン」

短くジョルジョは遮った。

「…わかったから、もうやめてくれ」

息遣いも粗く肩を上下させていたエヴァンは訝しげにジョルジョを見た。

「…わかったって…何がだよ」

「俺がお前を甘く見過ぎていたことさ」

ジョルジョは哀しく笑うと、やんわりと囁いた。


「…メルシー、エヴァン」


「………」


鳩が豆鉄砲を食らったような表情のエヴァンを他所に、ジョルジョはまた背を向けて歩き始めた。

はっと我に返ったエヴァンは慌ててジョルジョの隣に追いついて尋ねた。

「なあなあなあなあ、」

「…何だ」

「もしかして今の、オレのこと褒めたワケ?」

「…そのつもりだが」

ふふん、と笑うジョルジョにエヴァンはヤケのように怒鳴った。

「じゃ〜もっとわかりやすく言えっての!バッキャローっっ!!」




しらじらと明るくなりはじめている大聖堂の向こうの空に、朝陽が上り始めた。


 

 

 

 

 

********************

かつてギリシャから始まり多くの国からの植民地化、制圧下にあったシチリア。1282年、『シチリアの晩祷』と呼ばれる大事件が起こる。

パレルモにおいて、ある事件をきっかけにフランス人の支配に対する怒りが爆発、一斉蜂起となりパレルモ市民による大暴動・フランス人の大虐殺へと発展。


そんな史実はさておいて、今回、パートナー同士の喧嘩というリクエストを続いて頂いたのですが、これがなかなか興味深いことになりました。

ご覧の通り、ギャグとシリアスの対極(笑)全く異なった話に仕上がりました。オッサンが譲歩すれば喧嘩って起こらないものかなーとも思いますが…(^^;)

エヴァンの無鉄砲さを描きつつ、結局最後はオッサン側が折れるんだろうなーと。。


(2007/11/16)





前のアランとウェズリーのケンカとは違い、こっちは完全シリアスなんですね。

しかも歴史と上手く絡み合ってて、凄く面白いです。

イタリアの街もわかるので、一石二鳥です。

キアさんの小説には毎回驚きの連続です。ステキなプレゼントをありがとうございました。


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